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ブレザリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~5


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☆注:これは不食を推奨しているものではありません☆

↓過去記事
ブレザリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~1

ブレザリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~2

ブレザリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~3

ブレザリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~4

この地球上で人類が成長するにあたり、時に大きな犠牲を伴うことがある。
そうした大きな、沢山の犠牲の命の上に
自分達の命が 今あることを忘れてはいけない。
犠牲となった命の分まで しっかりと生きるように。
もし「犠牲」という言葉が重く感じるのであれば 「譲られた」と思いなさい。
沢山の「譲られた」命の分まで 自分の人生を大切に 役立てる人間になりなさい


これは生前の祖父が、私を含めた孫たちに 話した言葉のひとつです。
医学研究者でもあった祖父は、
とある伝染病菌と向き合い続け、
引退後も現場や研究内容などは一切口にすること無く墓場まで持っていった人ですが、
おそらく人一倍 多くの命の歩み 終わりをみてきたのだと思います。

無知とは上手に付き合うように。
無知が怖れを生み出し 怖れは時に人間の良心を蝕ばみ 争いや迫害への行動へと導いてしまう。
怖れることよりも 正しき知識を持とうとすることに 自分を使いなさい


これもそうですね。

なんだかこうして書いてみると、精神世界にも適応してしまう言葉ですね/笑。

そしてこれらの言葉はという行為にも当てはまるようにね 思うのです。



物質的な側面からみると、食べるという行為は
固形物を口から摂取し体内へ入れ、
そこから栄養を取り込み肉体を維持する ということになるかと思います。
またそれに当たり、
バランスの取れた食事を心掛けるように、と教えられているかと思います。

これはこれで、ひとつの知識ですね。
ただ量子・・・エネルギー的側面からみると、まんまるにはまた少し違った景色がみえるのです。


少し視点をズラすと、
固形物(命)は それぞれ個性を帯びたエネルギー体となって映るのですね。

それぞれの周波数というのは、・・・たとえばスーパーの棚に林檎が陳列されていたとして、
そのひとつひとつでも 微妙に異なっています。
そして帯びている周波数も単色的なものではなく、重なり合った複合色となってます。

それは、固形物(命)が育った環境や運搬される課程、
調理される課程(調理されているものは)の中で加わった
その場所のエネルギーや感情などによってつくられていった複合色ですね。

そういう意味では、直売所の食材などの方は エネルギーの重なり合いも単純ですね。

で、それらを購入し食べる私達の存在があります。
料理する・食べるという行為への観念も、人それぞれ異なってます。

一日三食(二食)が習慣となっており 時間通りに食事の時間を持つ人
食事は お腹を満たすためのものとして食べている人
健康を意識し気を配っている人
特になんのこだわりもない人
ストイックな程に制限している人
舌先で味わう 舌が満足する食事を摂る人
腸や脳の発する欲求に動かされ 摂っている人

いろいろな摂り方が あります

「食べる」ことに困らない現代の日本だからこその自由 とも言えるかもしれません。 

生きるために 食べる
から
食べるために 生きる
へと変化している部分も あるのでしょう。

一方、だからこそ生じるようになったものもあります。
たとえば、 
「腹八分を超えて食べすぎてしまう」
ことも そのひとつかと思います。

それを
「個人の努力の問題」
という一言で片付けてしまう方法も あるかもしれません。

けれども私は、
そこには現代だからこその「心の飢」が関係しているように 感じるのです。

スーパーで、レストランで、コンビニで・・・食べたいものや美味しいものは
いつでも手軽に購入できる時代です。

だけど、

優しい時間
柔らかな生活
判断や評価のない自由
リアリティのダンス((‥ )ン?)
名前のない世界(('_'?)...ン?)

そうしたものを手にすることは 難しくなっています。

自分の心に構う暇もない日常に追われ気味であり、
体や心のちょっとしたサインにも気づけない忙しさだったり、
自分で感じ 考え 判断して動く余裕もない 周りからの情報であったり
目も 耳も フル回転で吸収し 脳はその処理に追われています
 
余裕が徐々に削られ
寂しさや孤独を感じ
自分の声が どこにあるのかも見失い
生きる力も 絞りだすようなダルさで
体は動いていても 心は 魂の鼓動は聞こえない 殻の自分

だけど 「貴方の理解に涙が溢れる思いやりのプリン」「全肯定のレインボーピザ」「心寄り添うビターなステーキ」
「絶対的な信頼の友達サラダ」という料理は見つかりません。

旅行をしてリフレッシュしたいけど
大自然のなかで エネルギーチャージしたいけど
好きなことを 好きなだけしたいけど
心寄り添い会える相手が欲しいけど
・・・それすら難しい

満たされたい
満たしたい
自分を生きたい

食べ過ぎてしまう行動の背景に
そうした欲求が 隠れている事も、少なくはないと思います。

おまけに 
残念ながら 文明の利器がもたらした家電製品は、街並みは
生命エネルギーを変質 もしくは軽減させてしまう働きがあります。

生きる力に飢渇し 生きる力が欲しい 
だけど食べても満たされない 直ぐにまた食べたい欲求が生じる

だからとて いろいろなしがらみがあり 皆が皆、環境を変えれるわけでもありません。



そんな時に 少しでもいいから思い出して欲しいのです。

求めているメニューは すぐそこ 特別な場所でなく 空気中にありそうだぞΣ(- -ノ)ノと。
見えなくとも 感じなくとも 少しだけ意識して 深呼吸してみてください
深く リラックスして
 自分の中にたくさんの輝きが舞い込んでくるイメージをしてみてもいいかもしれません。
そんな風に、なにかと動きたがる習性を持つ心を せっかくなら意図的に建設的な方向へと使用してみるのも ひとつの手法です
(くれぐれも 心の御利用は 計画的にヾ(・・ ))。

どんなものも ありとあらゆる全ては生命であり 生きて活動しているものであり 全ての生命の源は 同じところから発生しているものである
ことも 頭の中ででもいいから 少しだけでも思い出してみてください。

 すべては 自分の欠片でもあり 仲間であり わたし です。

確かに文明の利器は 生命エネルギーを変質 もしくは軽減させてしまう働きがあります。
だけど そこに新たな息吹や風を通すことも 私たちにはできるのです。


まんまるも 現代の それ程田舎ではない場所に生きている 人間のひとりです。
家庭を持ち 子供を育て 仕事をし 掃除をし・・・

いろいろしたくとも 出来ない場合もあります。
毎回手作りのご飯を・・・と思っても、難しい場合もあります。

仕事で 時に数日家を留守にしなくてはならない そんな事もあります。

そんな時は、前もって数日分の料理を作ります。
でもそんな時間すらなく、買い置きする事だってあります。

どちらにしても、まんまるが家に居ない間は それが「お母さん」だと思っています。
私が居ない間は、この料理が私となり 子供達を見守り 心も体も支えてくれる生命。
「お願いね」
と 料理たちにお願いしてゆきます。

電子レンジを使用する場合だってあります。
帰宅が深夜近くとなってしまい、お惣菜を購入して帰る事もあります。
でも罪悪感を感じたりはしません。
たくさんの さまざまな命が、頑張って働いてくれた人の行為が、目の前の「食事」をさせてくれてること、
支えてくれたことに 手を合わせます。

たくさんの命や 生命の活動によって 
生かしてもらえてること
支えてもらえていること。

有難いことだと 思います。 



 




お肉や動物性のものを差し出された時は、 私はいただきます。
家族にも 制限はせず作ります。

そうしたものに「悲しみ」の感情があると言うのを聞いたことがあります。

確かに 食物に宿る悲しみは 確かなものでも、
生を奪われるという その行為を受け入れ 他の命のために捧げてくれた その崇高さ 勇気は 
 感謝してもし切れないほどです。
大切にし(食べさせてもらおう) 無駄にならぬよう 一緒に生きさせてもらいますと 手を合わせます。

そしてその命(魂)が逞しく成長し 変化してゆく姿を 想います。


農薬を使用した農作物も購入します。
農薬も、それを浴び育った作物もまた、私の欠片であり 愛しい我が子です。

食材や調理品を 私が手に取るまでに関わってくれた人達の想いも いただきます。
人生ハッピーな時もあれば、
資本主義というマネー社会のなかで生きてゆく事に疲れ、
仕事が嫌に感じることだって多々あると思います。
様々な想いを抱きながらも
日々 休むことなく頑張ってくれてることへ そのおかげで今日 食べれる事に 手を合わせます。


手を合わせる(合掌)は まんまるにとって祈りであり 利己性を超えた純真な魂の叫びであると思っています。
また そうした祈りこそが、最高のパワーであると 思っています。


胸の前で手を合わせるという行為は、
内なる神に祈りを捧げる行為であり、
内なる神に誠意を示す行為であり、
内なる神に敬意を注ぐ行為であり、
内なる神に慈しみを与える行為であり、
内なる神に信頼を置く行為であり、
内なる神と繋がりコミュニケーションする行為である。

内なる神・宇宙・生命を通して、私達は外なる神・宇宙・生命・存在を敬う。
内なる神・宇宙・生命を通じて、私達は相手の内なる神・宇宙・生命・存在を敬い尊重する。
私達は知っている。
そして胸の前で手を合わせる。


過去記事から引っ張ってきました/笑。
まぁ、こんな想いですね


私も以前は、食材の持つ様々な感情や状態というのが 気になってしまう時期というのがありました。


でも少しずつその想いは 柔らかさを帯び、今は↑に書いた感情へと 変化してゆきました。
それは いろいろな自分を許し 肯定してゆく行為と 連動していたのかもしれません。


 愛おしさが 愛おしさを超えて ひとつになりたい


命を取り込み 融合し 自分の命として 共に歩む
というのも、愛の ひとつの形態だと 
今は感じるのです。


そう感じるようになってからなのか、気づくと
以前は 食べると 口内の苦味や渋みが襲ったり 体調を崩したりしてたのが、
なくなっていました。

時間があれば こちらもどうぞ☆2009年の記事
”食べる”ことと”セックス”と愛 メッセージ

 生きるのに必要な分を
いのちを間接的な形で いただくことに
今はまだ 甘えさせてもらっています


つづく


(● ̄  ̄●)ボォ----
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ブレサリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~4


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☆注:これは不食を推奨しているものではありません☆

↓過去記事
ブレザリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~1

ブレザリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~2

ブレザリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~3

前回は 色気も輝きもない、まんまるの肉眼に映る一部のプラーナのを書きました。

なんともつまらない・・・色も輝きもないモノクロでみえるわけですが_(:□ 」∠)_、
でもね、色や音をつけようと思えば、一応つけることも可能。

よくオーラの色とかね、言いますよね。
あれは生物から発せられているプラーナと理解していますが、
そのプラーナの周波数には個性が帯びられていて。
その周波数を脳が色変換して それで「○○色」と認識しているのだと思っています。

精霊なども 同じことがいえますよね。
そもそも精霊は精霊の姿形をしているわけではなくて。
精霊の発している周波数を、脳が 私達に馴染みある あのような姿形に変換し わかりやすい形でみている・・・と、私は受け止めています。



肉眼でみえる範囲 
霊視でみえる範囲
こういった部分は個人差もありますが、そこには脳波も関係していると思っています。

科学者ではないまんまるには解明する術もないので、
あくまで一個人の意見でしか過ぎない話ですが。

五感が鋭くなり意識変化が起きる時は、脳の変化も起きていると思っています。

これまでの人生で自然とつくられ 慣れ親しんできた その人その人の個性を帯びた脳内の電気回路が、
なにかしらのキッカケ、トリガーによって変化を生じることで 意識変化が起き、
これまでの自分とは異なった視点 気づき 視界 行動などが生じると思うんですね。

それが健全な方向で行われた場合、
おそらく、大半の人が五感の鋭さを体感するのではないかと思います。

眠っていた五感が研ぎ澄まされ 敏感になるということは、
これまで感じることのなかった 匂い 色 接触せずとも伝わる感触 見えなかったものの視覚化・・・そうした現象が襲ってくることも珍しくはないでしょう。

ある意味、それは本来備え持っていた機能が、
鈍っていた状態から脱皮し 発動し始めた 
ということと言えるかもしれません。

時にそれを、人間は目覚めとか霊能力などと表現しますね。

まんまるには具体的な場所(名称)まではわからないですが、

意識変化 霊的な目覚めと松果体は深く関係していると、なにかで見た記憶があります。
有名なところでは、デカルトやシュタイナーなどは、松果体に興味を抱き 研究に時間を費やしてたといわれてますが。

また、いくつかの研究では 認知症は松果体の石灰化の程度が高いともでてますね。
そして現代人の多くは 松果体の石灰化が起こっている状態という研究結果も。

松果体と五感の健全化、は なにかしら関連しているかもしれませんね。


五感が鋭くなると
今までの自分の思い込んでいた常識をひっくり返してくれるようね現象も しばしば起きます。
過去や未来は存在しないといった時間の観念普段過ごしているこの空間には、さまざまな次元が重なり合っているという 空間の観念もそうですし、
口からの固形物を摂らなくとも健康的に生きることもそうですね。

プラーナを見て 触れ
人は固形物意外のものでも食べることが可能であり、
むしろそれは完全食のように感じ、
十分に摂取出来れば それだけでも生命維持は出来る
 ということを瞬間的に納得した時が、「仙人の朝露∑(ノ ̄┏Д┓ ̄)ノ」の意味がはじめて理解できたんですよね。

空気中からの 直接的なプラーナ吸収の量や変換への個人差はあれど、
誰もが多少なりとは行っています。
自然の中に行くと、空気が美味しいとか気持ちいいとか 感じますよね。
それもひとつの体感です。

直接的なプラーナ呼吸は、五感の鋭さだけでなく、心身の健康も体感してゆきます。

実際私も 風邪を引かなくなり 酷かったPMSや花粉症の症状も消えました。

他には
外側ではあらゆる現象が起き 私に降り掛かってこようとも、「私を破滅させる効力を持っているのは私だけ
という芯の強さというのでしょうか。
(とか言いながらその後の立て続けに起きた諸々の現象で、感情に包囲されましたが・・・ハラホロ~( ̄∇ ̄)~ヒレハレ)
強い自己信頼が、丹田にあるような感覚ですね。

それから、あらゆるものとの一体感の衝動が湧き上がることで、
人やなにかに対する 不満や争いも自然と薄れ消えてゆき、
常に自分をみる方向へと、それまで以上にシフトされてゆきました。

ちなみに 花粉症の症状を開放した方法は
「克服する」「治す」「不快(≧ヘ≦) 」「迷惑」「排除するo(・Θ・)○☆パンチ!」
とかは一切なく、
気持ちの中で仲良くするところから始め 親交を深めてゆきました/笑。
同時期に子供2人も 解放されていました。
一度なったら治らない、などと言われてる部分もありますが、
そんな制限も 外してあげていいかと思います。


あΣ(・口・)それから、それから間もなく太極拳に興味を抱きましたね!。
それまでは、太極拳て[壁|_-)チラッ (失礼な書き方でごめんなさい<(_ _)>)な感じで見ていたんです。
とかにも特に興味もなくて。

ですが プラーナを体感し吸収するようになってから、
もう太極拳のあの動きをしたくてしたくて/笑。

あの角のない ゆったりとした流れる動き・・・
あれがですね、プラーナ(気)を循環させたり 練っていたりしているように・・・
もうプラーナ体操にみえてしまって(* ̄∇ ̄*)エヘヘ。



一応伝えておくと、プラーナ摂取による不食や微食と、断食やダイエットは全くの別物になります
空気中からの直接的なプラーナ呼吸の可能性は、誰もが持っているとは思いますが、
ダイエットやファスティング目的で不食や微食を目指すことは、お勧めできません。

 以前にも書いたように、
プラーナ吸収が十分に出来て それを肉体生存のエネルギー変換へと十分に行うには段階があって、
の段階もあって 心身が満たされている状態から自然と生み出されていくものだから。


それでもこうして書いているのは、おそらくこの先、小食や不食でも
健康的になんの問題もなく 生きてゆける人というのは、増えてゆくのではないか・・・と思うからです。


ちなみに、
私自身 現在完全なブレサリアンではありません。
人並みよりは 食べる量も、種類も少ないですが、
食事は状態や状況、環境によって調整しています。

お口からの食事に、嫌悪感や我慢も抱いてません。

お口から摂る食事もまた、とてつもなく神聖な行為だと思うから。

間接的に摂るプラーナ(固形物による食事) という命のいただき方も、
食事を摂る人の心の姿勢や状態で 変換が異なりもする とても神秘的で神聖な行為だから。

・・・

・・・

というところで、一旦区切りたいと思います



つづく



マァマァ、オヒトツ(* ̄ー ̄)_凸”


ブレザリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~3


☆これは不食を推奨しているものではありません☆




まんまるが プラーナを肉眼で見始めたのは 12~13年前かな。
プラーナなんていう言葉もまだ知らない、20代後半だった頃です。

一番最初にみた場所は、
実家横の畑(笑)。

天気の良い日で、
( ꒪⌓꒪)ボー。。。。
としてた時ですね。

ふと視界に なにやら漂うものが現れました。

それが↓のようなものになります。
15394743270.png

ちなみにこれ、卵子のイラストです。
まんまるに見えているプラーナに出来るだけ近いものを伝えたい。。。。。とフリー素材で必死に探した結果、これになりました。

空間にキラキラしたものが見えるとか、
光がチカチカ見える とか、
聞いたことがあるのですが。。。
。。。
。。。まんまるの肉眼に見えるのは、モノクロののものになります。
            はい。夢も色気もございませんil||li л○ il||li  

一番近かったのが、モノクロの卵子のイラストで御座います。





これが 沢山空間にふわ~ ゆら~ ほにょにょ~とあるわけですね。

こんな感じで。
細胞イラスト



イラストではない よりリアルな形でお伝えするとなると、
↓のような景色になります。

赤血球5

ちなみにこちらは 赤血球を顕微鏡で見たものです。
 。。。。。はい、どこまでも 夢も 希望も 輝きもない まんまるに見えるプラーナ景色です・・・_| ̄|○スイマセン



で、↑画像をみていただくと 中央部分の色(といってもモノクロ)が濃くなっているのがわかるかと思いますが。
ここに なにやら密集しているように感じたのですね。

そこでプラーナのひとつに意識をフォーカスしたところ、そのプラーナがグッと近づいて広大したので、
さらにそこから中央部分へと意識をフォーカスし ズームさせてみたんです。
するとこんな↓感じで視界に映ってきて
細胞イラスト2



さらにズームしてゆくと

・・・・

・・・・

・・・・

・・・・

なんと表現したらよいかな・・・

簡潔に一番近いもので表現すれば、曼荼羅を連想させる景色がそこにあったのですね。
15394641580.jpeg
↑の曼荼羅模様でもなかなか入り組んでいますが、
プラーナの中央部をズームインし見えるものは この数百・・・数千・・・数億・・・、もうなんだか想像出来ないレベルの複雑さなんですね。
しかも幾重にも 幾重にも重なり合っており 奥行きがあるのです。

なのに そこに一切の混乱はないのです。
それはとても規則正しい配列で 完璧さで 精妙さで ・・・・すべてがあるのです。

それを見た瞬間、
ごく自然に宇宙だと感じました。

すべての情報がそこにあり 叡智であり  生命であり 可能性であり 根源であり ・・・

それらを直感的に理解した後は

それ以上の その深淵的な部分には 踏み込むことはしませんでした。

もし触れたところで
人間の脳で受容できるレベルのものではないということも 直感的に理解したからです。


もし受容しようとしたら 
その圧倒的な情報量に 私の脳は耐えられず ハレーションを起こし 破裂するだろうと。。。。
大袈裟ではなく 真剣に そう感じ敬服したんですよね(๑꒪⍘꒪๑)。


ただそれでも、多少の情報?というか 直感的な理解はたくさん起きて。

そのひとつにこれを呼吸によって吸収する(食べる)ことができたら 人間は口からの栄養摂取をする必要がなくなるというのがありました。  



Σ( ̄。 ̄ノ)ノ・・・ビックリ 衝撃的 な理解でしたね(笑)。

だってずっと食べなきゃ死んじゃう・栄養不足になると信じてた訳ですから。
親にも 学校の授業でも ずっとそう教わってきてて、
一時期は 栄養士を目指そうと考えてた位 信じ込んできたわけです。

それが・・・・その常識が・・・一瞬にして いとも間単に 覆されちゃったわけです。

そこから まんまるの
いろ~んな常識にとらわれるのはやめよう  自分の可能性を制限してしまう考えはやめよう
的な考えがね、うまれたかな。





まぁ  そんな感じでね まんまるの肉眼にはプラーナが見えています(-∀-)。


ちなみに変形バージョンなんてのも よくみえますね。
↓たとえば ミミズみたいな・・・こんな感じの
ウイルスイラスト

リアル表現をするとこんな感じ↓
赤血球3
ちなみにこういった変形パージョンは ちょいと活力失っちゃってるバージョンですね。

変形バージョンは 人工的ななにかの周りに よく見えますね。

・・・・・ちなみにちなみに↑はウイルスを顕微鏡でみたものになります。



・・・・・はい 最後まで夢も色気も輝きも 御座いません。
 まんまるに見えるプラーナでございました_(:3」∠)_





つづく


ありがとね((⊂(^ω^)⊃))


ブレザリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~2
糖質制限の賛否については、
専門分野でもない私が
ここであれやこれやと言うのは、筋違いなことと思うので省きますが☆。


これは私個人の経験と智識して聞いてもらいたいのですが、
・・・・現代栄養学による見解では 万人に当てはまる完璧な答えはだせないように思えるんですよね。

糖質制限の記事を読みわかったのですが、
どうやら私の食スタイルは糖質制限者らしいのですね。
その程度が緩やかな糖質制限者なのかストイックな糖質制限者なのかは。。。皆様の判断にお任せ致しますが。。。

たとえば、
20代後半~10年位は 一日一食が普通だったんですね。
その時期に プラーナが肉眼で映るようになり、それまで想像もしなかったような発見が起きて。

一日一食。
それは、意図的にそうしようとか、ダイエットをしていたわけではないです。
当時は、一日一食が自分にとって一番心地よい食スタイルだったので、自然とそこに落ち着いていました。

別に一日一食を自分に課していたわけでもなかったです。

だから家族旅行等で一日二食、三食摂ることもしました。
ただ当時の私にはあまり合わないらしく、そうした食生活の後には
元の状態へ戻す為に 数日掛けて体調のメンテナンスをする必要もありました。

他にも添加物や砂糖を摂取した場合、
似たような(口内が痺れたり頭痛が止まなくなったり 体を動かすのが億劫になったり 感情の乱れが激しくなる 五感が鈍くなるといった)症状が出ることから自然と遠ざかっていました。

パン作りやデザート作りにはまっていたのもこの時期ですね(#^.^#)。

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パスタ用小麦も 30㌔買してました(-∀-)


なんてことはない、
きっかけは
「私も沢山パン食べたい!。私の食べたいパンをつくろうヽ(*>□<*)ノ」だったんです。

油脂をオリーブオイルに変えてみたり、
卵は 鶏を平飼ししている市内の方から仕入れたり、
イーストは極力使用しない 低温長時間発酵にしてみたり

そしたら・・・思いの他楽しくて、
酒粕 レーズン ヨーグルトといった天然酵母から
それぞれのパンに合う小麦のオリジナルブレンド模索・・・と
どんどん夢中になり、
・・・
間もなく家の2室が連日パン屋化しているという状況に陥ったわけですが○| ̄|_(完全な自己満足世界です/苦笑)。



話が反れました。
まぁ20代後半~30代後半までがそんな食スタイルでした。
動物性のものもほぼ摂らず・・・
おそらくは、粗食の部類に当てはまるような食生活だったと思います。
ジョギングで10㌔以上走ってる日々も、
疲れが出るとかお腹が空くとか
喉が渇くといった症状はでなかったので(体重減少や体調不良も)、
食スタイルは同じままでした。

その後2年程は一日2食~三食の時期となります。
添加物、砂糖、動物性・・・がっつり摂ってますね。

理由は、
口から固形物を取り入れ栄養摂取をしないと栄養を摂れない状態へとなったからです。

・・・・

・・・・

・・・・

いいですか?。
ここから先は ちょっとマニアックな話にはいってゆきます_:(‘Θ’ 」 ∠):_ プルプルプル。

もしこうした内容に苦手な方や
アレルギー反応が出そうな方は、
優しくスルーしてくださいね(ɔ ˘⌣˘)˘⌣˘ c)。

また誤解が出ないよう最初にお伝えしておきますが、これはプラーナ呼吸を推奨しているものではありません。



私の粗食期、、
あの頃の私が人並みの量を摂っていなくとも、
食べずに1週間近く平気で過ごしていても、
栄養学的には ながーいお説教をされてしまうような栄養不足状態でも、
走ってさらに他の運動をしても、

体も壊さず 
疲れずお腹も空かず、
むしろとても快適で健康で 

それまで毎年恒例行事のように入院していたのがなくなり、
花粉症の症状からも開放されたのは、

ジョギングというものが 当時の私にとってはひとつの瞑想方法でもあり、
その行為によってプラーナ代謝(こんな言葉があるかどうか知りませんが、湧き出てきた言葉をそのまま使用させていただきます)をしていたから・・・です。




プラーナ・・・ヨガや気功をされていたり、興味を抱いている方達には
馴染みのある言葉かもしれませんね。

もしくはそうしたものを行っていなくとも、どこかで聞いたり感じたりしている方もいるかもしれません。

生命エネルギー
宇宙エネルギー

そんな表現もされているもの。

このブログでも、根源エネルギーとか全生命の源といった表現で 使用してきたこともあります。

このプラーナというものは、説明するにはあまりに奥が深すぎ
説明するのに夢中になると、
いく晩もの徹夜が必要となるのは必須なので(笑)、簡潔に簡単に述べれば

ありとあらゆる全て(物・場所・行為含めたあらゆるもの)に存在するものであり 無限の可能性を秘めているものであり 生命そのものであり 根源である

・・・な感じかな。

・・・・

・・・・

・・・・


ということは・・・これを読んでいる今の読者様にも
この文字にも 空間にも 当然それはあるということになります。

もう少し詳しく述べれば、私たちの誰もが意識しているしていないに関わらず、
プラーナに触れており プラーナを吸収しており プラーナを内包しているのです。
それは空気中からもです。

ただ異なるのは、吸収率に個人差があり 吸収方法に 吸収してからの変換方法に
個性があるということです。

呼吸によって、空気中から直接的にプラーナを十分に取り入れられる人であれば、
生きるに必要なエネルギーはそこから満たされているので、
口から取り入れる固形物からエネルギーを取り入れる必要はなくなります。
もしくは極少量で足ります。

摂り入れるだけでなく 摂り扱える人であるならば、
美容にも治癒にも活用できるでしょう。 

水上散歩でも空中浮遊でも 時空間移動でも 
パンをワインに変えることも可能でしょう。

空気中や呼吸からでなくとも、
土からでも吸収可能でしょう。
全身からでも 別次元からでも 直接的なプラーナ呼吸ができるでしょう。
その先では 肉体的な呼吸すら必要なくなるでしょう。

プラーナは 
 いのちそのもので
 すべてに存在し
 無限の可能性を秘めているものだから


しかし プラーナ呼吸における なにより貴重で大きな出来事は
すべてはつながりあい ひとつであり 同胞で わたしである
という内なる衝動にあると思います。

様々なサイキック能力や人間離れ的な行為は、あくまでも副産物的なもの・・・
少なくともまんまるは、そう思っています。



さて、まんまるが30代後半からの2年間程、それまでとは打って変わって口からしっかり食べ物を摂るようになったと
書きました。

その理由は、
このプラーナ呼吸による吸収率が、大きく下がった・・・からになります。
口から固形物を取り入れなければ 痩せて、栄養失調にもなってしまう状態ですね。
なので、現代栄養学にある程度沿った食生活へと変換させたわけです。


なぜ?。

なぜ 出来ていたのに 出来なくなってしまったの?。


それは、当時の私のなかに
不安
悲しみ
焦り
不信感
怒り

などが常在するようになり 
私が 感情に 心に 囚われてしまったからですね。


直接的なプラーナ呼吸を行うには、ちょっとしたポイントがあります
それは

プラーナ呼吸を行う以前に、既に心身が深くリラックスし深い信頼に溢れ 穏やかで満たされている
囚われのない(もしくはほとんどない)状態であること 


になります。



先程
プラーナ呼吸は、意識するしないに関わらず誰もが行っています。

ただ異なるのは、吸収率に個人差があり 吸収方法に 吸収してからの変換方法に
個性があるということです。


と書きましたが、それがここに当てはまってくるのですね。


そういう意味では、瞑想というツールを使って行うことは
環境的にもいいのだと思います。
※瞑想といっても、じっと座って。。。だけが方法ではないです(#^.^#)。

他にも、直接的なプラーナ呼吸が十分に稼動するにあたって
「脳」と「腸」が深く関わってくる。。。と個人的経験と感覚から思っています。



ちなみにこうした情報(智恵)は、
プラーナを摂り入れてゆくなかで自然と理解したことです。

はい、またもや独学要素たっぷりな 怪しい内容です/笑。



それでも読む価値がある
利用出来るなにかがあると思っていただけるのなら、もうしばらくお付き合いください☆。

次回は まんまるには空気中になにが見えているのか、
どんな風にプラーナが映っているのかを交えながら、話を進めてゆきたいと思います



つづく




ちなみに20代半ば位までは
ジャングフード 夜食 甘いもの お菓子 ガッツガッツ食べておりましたの(=∀=)ォホホ






ブレザリアン ~食べても食べなくてもいいという選択~1

半年程前から、運動を再開したまんまるです。

10代の時からずっとストレッチはしていたのですが、
今から10年程前の
30歳過ぎた頃から早朝ジョギングも取り入れ、
最初は2㌔位だったのが、1年後には週4~5のペースで1日8~10キロ前後を走れるようになり、

・・・月日と共にさらに距離は伸び、

・・・それに比例しジョギングタイムもどんどん伸びてゆき、

・・・必然的に「早朝」「早」もどんどん早くなってゆき、

・・・もはやスタートタイム時が早朝なのか深夜なのかわからない。。。○| ̄|_

というお間抜けな・・・

手をつけだすと直ぐ夢中になり、

熱中するとどこまでもいってしまいそうな、

良いのか悪いのかわからない特性を持っている私ですが、

環境の変化に伴い、
ジョギングからも離れた生活を、ここ3年位過ごしていました。


そして!
半年程前からスタートさせました。
最初はまたジョギングをしようと思っていたのですが、
近場に良い場所が見つからなかったので、今度は自宅で。

自重トレーニングとダンス!

・・・
・・・

察しの良い方はお気づきかもしれませんね。

はい。  人生初の、自分の腹筋を見ました。
見てみたかったんです。自分のシックスパックがどんななのか♪───O(≧∇≦)O────

今は満足したので、もっと緩やかな腹筋さんです/笑。
・・・ムキムキなわけでもありませんよ。


でですね、前置きが長くなりましたが、
鍛える系の運動をするのが初めてだった事もあり、
スタート当初はネットから情報を集めたりしていたんですね。

ムキムキちゃんにはならず、

でも適度な筋肉をつけ体力をつけたい、

ついでにセルライトもなくしたいし、綺麗にもなりたい。

お金は掛けないで

体の歪みも直したい。

チャクラもナーディもクリアにしたい

と、まぁ目指す所はこんな感じでした(ヨクバリスギデスカッΣ( ̄。 ̄ノ)ノ)。



人生初の鍛える系を行うにあたり、
なんの知識もなかったので
当初はネットで情報収集からはじめてみたのですね。

すると出てくるわ出てくるわ。。。

なんか、ちょうど女性筋トレというものがちょっとしたブームだったらしく、あれやこれや・・・素晴らしい情報群。

このご時勢なので情報収集には困らなかったのですが、問題がひとつ。

ひとつの題材が、場所によって異なる事をおっしゃっているのですね。
・・・このご時勢では、よくあることですね。

特に食に関すること。

筋トレで筋肉をつけたい場合は、タンパク質を多めにし糖質を控える、というのがよく言われていますが
制限する糖質の量に関しては一環しておらず、
挙句の果てには糖質制限は寿命を縮める。危険などという情報もあり。

それぞれの異なる内容に面白さと興味を覚え、
徐々に検索ワードは、
「糖質制限」というものに
増えてゆきました。



つづく


お願いします☆









私は生きています
内なる世界が変わることで、外の景色が変わってゆく。


外への景色が変わると、自動的に自分の言動・行動が変わってゆく。


争いの変わりに 穏やかさが、
  
焦燥感の変わりに 活気が、
 
不安の変わりに 信頼が、

恐怖心の変わりに 安らぎの心が。

急ぎ早に歩く行動から 
 足元の小さな生命への優しさに、

肉体維持の為の食事から
 生命と共鳴する食事のあり方に、

息苦しさすら感じていた人間関係の感情から 
 自信と慈しみの感情に。

少しずつ私のなかで膨らんでゆく。

・・・

・・・

・・・

私は生きています/笑




ここでも生きさせて下さい_(:□ 」∠)_

暖かな光
底冷えするような寒さが続いてるね。

ブログランキング、ポチありがとう!。
すっごく久しぶり(ヒサシブリスギダロ(  '-' )ノ)`-' ))なのにも関わらず、読んでくれてる方がいるのね(涙)。
ありがとう。

またこれから少しずつ、正直に色々なことを書いてゆきたいと思っています。

..…

..…

..…

(*˘︶˘人)♡*。+ヨロシクです♪

ヽ( •̀ ω •́ )ゝ✧グヮンバリマス!


書きたいことは沢山なのだけど、
寒い日が続いているから、今日は暖かな光のポエムをひとつ。。。


☆.。.:*・°☆.。.:*☆.。.:*・°☆.。.:*


居場所


大切な場所は ありますか?

そこを想うだけで
心がほっとする 温かい気持ちになる 優しい場所

勇気をもらえる場所 素直な笑みの溢れる場所

揺るがない 永遠の場所


どんな人の心にも
大切な場所というのはあるのだと思います。

もしそれがないと感じるのなら、
それはまだ見つけられていないだけ

誰の心にも 心のもっと奥の場所に 必ず大切な場所は存在している

だから本当は
誰ひとり さみしい人はいないのだと思います



朝焼けに
耳を澄まして
目を閉じれば
そっと
浮かんでくる
暖かな ひかり




お腹冷やさないようにしようね☆
生きててくれて ありがとう


この1年は
いろんな人に出逢った気がする。
それは直接的なものから間接的なものも含めて。

数ヵ月前になるのか、
とある本が手元に来たことがありました。

本の題名は
『死にたいままで 生きています』
という、衝撃的なものだった。

数時間後に私はその本を読み終えていた。
さらに1時間後、
郵便ポストへ封筒を入れた。
宛先は出版社。

私は、対面でも、
本や音楽を通して接した人物にでも、
なにかを感じ心動かされた時は
極力相手に伝えようと心掛けています。

『ありがとう』
『嬉しい』
そうした言葉を含め、
感じた事を素直に、
心で想うだけでなく
出来るだけ相手に伝えたいと思っています。

だからよく手紙も書いちゃいます。

あの時も、手紙を書かずにはいられませんでした。
読めて良かった、と素直に感じたから。


それから暫くして、
1枚の手紙が届きました。
女性らしい手書きの文字で。


『生きててくださって つながってくださって ありがとう』

差出人の名前を見ても、直ぐに誰だかわからず..…
暫くの間は硬直したまま、ジッとその手書きの文字を凝視してしまいました。

やがて以前ポストに私が投函した記憶と目の前の手紙が一致し、新たな感動が襲い胸が熱くなりり。

『生きててくれて ありがとう』

その言葉が 嬉しく感じました。
少なくとも私には、
私生きてて良かった☆、という感動を与えてくれた言葉でした。



この本の題名のように、
死にたいままで生きている人はどれだけの数いるのだろう。
死にたいまではいかずとも、
自己否定や満たされぬなにかを抱き生きている人はどのくらいいるのだろう。

今では過去の出来事として笑って言えるけれど、
私は子供の頃から長い間ずっと孤独と共にいて。
笑って過ごしながらも、
何処にも理解者など居ないように思え、
誰にも心を開くこともしなかった。

内に巣食う孤独感の威力には計り知れないものがあり、いつも生きてることが苦しかったあの頃。

どこからその孤独がくるのかも、わからなかった。
どうしたら満たされるのかその術も、長い間上手にみつけられず苦しかった。

それも、今となっては笑い話。

孤独の元も、満たすべき場所も、
時間は多少掛かったけれど
見つけることができた。

あんなにも自分のことを『いらない存在』と毛嫌いしていたのに、今は『いらない存在など ない』と笑っている。


自分は、自分が思っている以上に変化し成長できるものなのだと思う。

..…

..…

時に、
死にたいまま 生きてます
..…でもいいと思うのです。


久しぶりのブログランキング☆!(o-∀-o)





ちぃさなつぶやき

なんだろうな。。。

なんかね
もういいような気がするんだよね。

変える
とか
なおすとか
改善とか
。。。

。。。

。。。

もぅ
そういうのは十分なような気がするんだよね。。。

もぅ
いっぱい頑張ってきたもの

いっぱい色んな想い抱えてきたんだもの

いっぱい努力だってしたもの

「まだまだ」でも
「まだまだ」と言っちゃう位真面目さんだもの


もぅ
いいんじゃないかな

判断も
評価も
自己診断も
理由も
否定も

。。。

。。。

そのままを認めてあげようよ

いっぱい頑張ってきたよ



なにかに縛られてる必要もないような気がする

だってほんとは
なににも縛られてないんだから


過去も
記憶も
それ自体は縛る効力なんてもってないんだから

存在してないんだから


過去や
記憶が
縛る効力を持つのは
存在をしているのは
影響力をもつのは

《わたし》が《それ》をゆるした時




そのトリックに気づこうとしても
もぅいいんじゃないかな


頑張ったよ


そのままでも
すでにサイコー⤴️だよ



そんなまじめにならなくても
大丈夫だよ(ノ゜ー゜)ノ!


認めてあげても大丈夫だよ

。。。

認めてあげてもいいんじゃないかな

。。。


と思うのです。。。
知恵の種

あなたの中心にある知恵の種を開きなさい。
知恵の種が息吹くには、清き水と暖かな光、しっかりとした大地が必要です。

清き水とは、
清き思考。

暖かな光とは
感謝と喜びの想い。

しっかりとした大地とは、
崇高なる意志と美しき祈り。



一日の始まりを 喜びと共に生きることです。
今日ここにあなたがあることを、
太陽の日差しがあなたを包んでいることを、
鳥の祝福の声と共に目覚めたこと、
子供達の健やかな寝顔があること、
今日もたくさんの自然の恵に触れることを




そして一日の終わりを、感謝と共に終えることです。
今日も一日あなたがここにあれたことを、
豊かな水に恵まれ過ごせたことを、
多くの笑顔に触れられたことを、
歩く大地があったことを、
あなたが生きるに十分な空気がここにあったことを
風がすべてのものに生命を与えていることを、
この世界が平和への道のりを歩いているということを、

一日一日を過ごすということは、
あなたは大いなる生命に支えられ、多くの生命があなたに生命を与えているのだということを。
何時如何なる時も、愛され慈しまれているということを。




清き水と暖かな光、しっかりとした大地を持つことです。

そうすれば、あなたの中心にある知恵の種は、
その堅い殻を打ち破り、愛くるしい芽を差し出してくるでしょう。

やがてその芽は大いなる幹となり、大いなる果実を実らすことでしょう。

忘れてはいけません。
立派な樹を育てるには、清き水と暖かな光、しっかりとした大地を持ち続けることだということを。

それは美しく謙虚で気品に満ちた姿。

自分の中心に在る時、知恵の種は教えてくれます。


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